今日は5月5日、「端午の節句」
そんな端午の節句、本日。
日が昇りはじめた早朝に、一通のラインが。
地元の母親より、「今年から母の日プレゼントは辞退させて頂きます(^O^)」
おそらくこどもの日で、ふと思うコトがあったのでしょう。
しかし、流石に、今週末の母の日。
もう準備してあるので、その依頼は丁重にお断りしました。
離れた場所で暮らす両親に、会えることも少なく。
こんなタイミングでないと、なかなかギフトを贈ることもないので、こういったタイミングくらいは大切にしたいと。
なので来年からも、その依頼は丁重にお断りします。
自分も人の親になり、両親の気持ちが少しは分かるようになったつもりです。
「思ってくれる気持ちはありがたいけど、気を遣わないで。
あなたが元気でいてくれれば、本当にそれでいい。」
いつからか、こんな感情がうまれてきました。
親の気持ちも、子の気持ちも。
想い、想われるって素敵です。
そんな、親としての私から。
前回に書きました、「話を伝えたい時に、」の続きを。
それは、先月のとある日。
新学年を迎えたばかりの息子。
朝から体調が優れず、辛そう。
その日はたまたま私が仕事休みだったので、学校をお休みして一緒に過ごすことに。
午前中に病院へ行ったくらいで、他愛もない日常。
子どもの体調も順調に回復して、ほっとしていた午後。
学校から電話が。
それは担任の先生から。
先生は新人教師、今年から初めて担任を受け持ったようで、まだお会いしたことはありません。
「〇〇くんの体調はいかがですか? 」
「もし、よろしければお家へお伺いしたいのですが…」
なかなか熱心な先生だ。
あまり、自宅へ人を招くことが得意でない私でしたが、先生の熱意が伝わり。
「どうぞ。」
コロナが世間で流行り、家庭訪問の在り方も変わり。
玄関先でお話をすることが当たり前になった昨今。
当然、今回も。
簡単な自己紹介と、当たり障りのない話を少しして終わり。
ごくごく普通、華美ではないけど真面目そうな印象の先生。
私たちが勝手にフィルターを通してみている、
所謂「最近の若い人」は不確かな虚像で。
実はとても素敵で明るく、情熱をもって今を必至で生きているのかもしれない。
ここまで読んで、あなたがいま描いた、その先生はどんな人物でしたか?
担任の先生は男性です。
身長は170cmくらい、眼鏡をかけたジャージ姿で中肉中背。
年齢は24歳。
これ以上は個人情報もあるので控えます。
そんな所謂、普通の先生でした。
そして、翌日。
息子は体調も回復して、元気に学校へ。
私は仕事へ。
そんな何気ない日常。
いつもの時間に帰宅。
すると、息子がいつものように「おかえり!」と迎えてくれたのですが、その表情はニコニコ。
「どうした?」と尋ねると。
実は今日、担任の先生が…
その内容は父親である私のことを、たくさん褒めてくださったとの事。
「〇〇くんのお父さん、カッコイイな!優しいし、素敵なお父さんだね。」
※これは私が自分で言った事ではなく、息子から聞いた先生の言葉です…
確かに、誰かに褒めていただく、ポジティブな言葉をかけていただく事は嬉しいのですが。
それよりも息子が誇らしげに、満面の笑みでその話をしてくれたことが何より、幸せな瞬間。
年齢を重ねると、自分がどうこうよりも周りの人が喜んでくれる、楽しんでくれる、必要としてくれる。
そういったところに幸せを感じることが増えています。
有名な著書、「嫌われる勇気」。
よく勘違いされますけど、あの本は「嫌われることに勇気をもちない」と言ったシンプルな内容ではなく。
色々と綴られて奥の深い本ですが、課題の分離に気付かせてくれ、そこから自分がどう考え、生きていくか。を問う本です。
他人がどう評価するのは、他者の課題であり。
自分の課題ではない。
だからと言って、自由奔放に生きなさいというわけでもありません。
他者の課題は、それと理解したうえで、なお自分の課題。
それにどう向き合うのか。
なんだか難しい話になりましたが、なりたい自分になる為に他者を気にしすぎる必要はなく。
誰かの課題(思想や価値観)を変えようなんて、もっての外。
それでも自分を信じて。
誰かがそれをちゃんと見ていてくれて。
そして、またその誰かがそれで幸せになってくれたのなら。何かを感じとってくれたなら。
きっと素敵な人生なのかなと。
私は自分の為に生きていますが、その自分の為は「私が出会った人。その人たちが一人でも多く、幸せ(笑顔)になってもらえたら。」
これももちろん、他者の課題で幸せになれ!っと願うものではなく。
自分がそう生きていて、周りの方々がその一瞬でも笑顔になってくれたらいいなと。
エゴです。
こんなエゴでも、今回。
先生がわざわざいらっしゃり。
翌日、息子に声をかけてくださり。
息子ではなく、私の事を褒めていただき。
それが息子の誇りとなる。
何気ない日常が彩られた瞬間です。
人を変えることは出来ないけど、自分が変わることで周りに何かを届けることは出来るのかもしれない。
それならば、自分の課題を自身で愉しんで、生きたい。
「誇らしく」